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 あ行  か行  さ行  た行  な行  は行  ま行  や行  ら行  

か行の歌人

柿本人麻呂
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

山鳥の長い尾がしだり尾のように見え、その姿から長い夜の孤独を感じる。

河原左大臣
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに

陸奥の地で、しのぶ染めの布を誰のために乱れて染め上げようか、私自身も理解できない。

菅原道真
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

この度は神々に捧げる供物もなく、ただ手向山の紅葉を神々の前に広げる。

鎌倉右大臣
世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも

世の中は常に変わり続け、安定することはない。海を漕ぎ出す小舟のように、私たちは自分の道を切り開くしかない。しかし、その小舟の綱手(操舵手)がいないという無力感を表現しています。

喜撰法師
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり

自分の住む庵は都の端にあり、人々はそれを世を避ける山と呼ぶ。

紀友則
ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ

春の日の長い光の中で、心静かに花が散る様子を描いている。

紀貫之
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

人々は心を知らず、故郷は昔の花の香りが漂っている。

清原深養父
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

夏の夜はまだ早い時間なのに明けてしまい、どの雲に月が宿っているのか。

清原元輔
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

契りを交わした相手に向けて、袖を絞りながら、末の松山が波を越えてしまうことを誓う。

謙徳公
あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

愛する人を思うと、その人がいない寂しさに身を任せてしまう。

儀同三司母
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな

今日を生きることが最後の日であるかのように、忘れずに生きていきたいという思いを表現しています。

光孝天皇
君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ

君のために春の野に出て若菜を摘むが、自分の衣には雪が降っている。

小式部内侍
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

大江山への道が遠く、まだ足を踏み入れていない天の橋立の情景が描かれています。

後徳大寺左大臣
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる

ほととぎすの鳴き声を追いかけて見ると、有明の月だけが残っている。

皇太后宮大夫俊成
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

世の中には道がないと思い込んでいるが、山の奥で鹿が鳴いていることを思い出す。

皇嘉門院別当
難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき

恋人に会いたいという強い思いを、難波江の葦刈りを一生懸命に行う人々に例えています。

後京極摂政前太政大臣
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

霜の降りた夜、きりぎりすの鳴き声と共に、一人で寝る寂しさを感じる。

後鳥羽院
人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は

人を惜しむも、人を恨むも、あぢきなく、世を思うゆえに物思う身である。